演劇

ひきこもる、なにかの内側に。ーハイバイ「ヒッキー・ソトニデテミターノ」を観て思ったこと

2018年3月7日

ひきこもり、という言葉がいつぐらいから使われ出したかもう覚えていない。

比較的最近「おこもり美容」とか「おこもりステイ」とか「おこもり休日」みたいな言葉が一瞬流行ったけど、その言葉をひきこもりの人たちはどう取り扱っていたのだろう、ということは今さっき考えた。

おこもり休日とただの出不精はどう違うんだ、と思うし
出不精とひきこもりの境目はどこだよ、と思うし

なんにせよ、わからない人間は考えるしかない。

2日出ないことと、20日出ないことと、2年出ないことはどう違うのか。
家の中は実際安全地帯なのか、そもそも安全とは何かとか、そういうこと。
どうしても今あんぱんが食べたいけど、家族は出かけたし、家の中にはそれらしきもの(あずきバーとか)すらないし、どうしようもないな、っていう時どうするんだろうとか、そういうこと。

ハイバイの演出家、岩井秀人はおもしろいお芝居を作ると思う。
自分の身に実際起こったことを芝居に書き起こす「私演劇」というのをやっているらしい。

今回の芝居「ヒッキー・ソトニデテミターノ」は10代後半から数年間ひきこもりだった経験を元に書かれた芝居で、初演は2012年。再演の今回は岩井秀人自身が本人(の要素がいちばん強い)役をやり、「自分がこの役をやることがどうしても気持ち悪く、それはそれは困りました」と言っている。

このお芝居には3人のひきこもりが出てきて、話の流れ的には
「ひきこもっていることは良くないことだから、頑張って出よう。家族のためにも、自分のためにも」
といろんな人の助けを借りて自立を促していく……という感じなのだけど、当然

「出ておいでよ」

って言われて出るくらいならひきこもりはやってないし
出たあとで

「それで?」

ということに人は基本応えてくれない。
仕事見つけてください、住む場所見つけてください、人生っぽくなるようにしてください、という社会の要請を取り合わないで今までやってきたのに、
いろんなもののハードルが、ひとつひとつだいぶ高い。

私は今プログラミングを勉強してて、毎日スカイプで英会話もやって、オンラインでいろんなことを済ませている。
SNSを見ていると、オンラインで就業も可能みたいだし、なんだったらリモート勤務とかいうので自宅にいながら仕事もできてしまうらしい。

ひきこもり、やっていける。
店屋物とWi-Fiとオンラインスーパーとアマゾンで暮らしていける。たまにVRで旅行したり、バーチャルで金魚を飼ったりできる(選挙で投票するのだってそのうちなんとかなるだろう)。

そういう人たちの比率が増えていって、出ていかないことが自然になったら、ひきこもりという言葉はなくならないにせよ、定義はだいぶ変わるのかもしれない。

ハイバイはお芝居が終わった後に大概アフタートークをやってくれて、
お客さんから集めた質問に演出家本人がばんばん答えてくれるんだけど、
それが毎回とても面白い。

「前作でひきこもりについて書いた時、結末で主人公が家から出たかどうかわからない、という終わりにしたのに『最後に出られてよかったですね』といろんな人に言われ続けたことがだいぶ引っかかっていた」
という話をしてくれて、それがとても印象に残っている。

あと、
「ひきこもっている時にあまりにRPGをやりすぎて視界の端にコマンド画面が常に出ているような気がしてた。意識すると消えちゃうんだけど、ある日洗面所にいった時に幻のコマンド画面に「➡︎あらう」というコマンドが出てる気がした」
っていう話も面白かった。

2018年03月06日22時53分44秒_ページ_2

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