どこで見かけたかもう覚えてないけれど、映画の誉め言葉で「どの場面を切り取ってもTシャツにできる」というのがある。
どの場面もインパクトがあり、キャッチ―で、物語性があるという趣旨の素敵な言い回しだし、それに関連付けてよく挙げられる「AKIRA」を観るとなるほどな、と思う。

しかしそうなると「どの場面を切り取ってもポストカードにできる」ような映画もあるはずだ。
人目をひくほどのインパクトや主張はない。けれど、気が向いたときにふとその一場面を眺めると心がだんだん落ち着いてくるような映画。そう言うと、むしろTシャツになる映画よりよほど多くの映画があてはまりそうだ。

columbus

昨日観た「コロンバス」はとても美しい映画だった。

劇的な冒頭ではなかった。女が誰かの名前を呼びながら、部屋をひとつひとつ巡る。
とにかく構図がすごい…。
場面が切り替わる度にバッキバキに決まった構図が目の前に現れる。
奥行き、調度品、壁、窓、そして女。すべてが美しい位置に定まっている。

「あれ…もしやこれ……」

とドキドキしはじめる。

映画を撮る人はきっと誰だって注意を払って人物やものを配置する。背景を選び、天候を祈る。わかっている。でもこの人、私の琴線に触れる人なのでは…? なんだかこの映画を好きになるような気がする、というザワザワがどんどん強くなってくる。

どの部屋にも探している人物はいない。女がさらに奥に進んでいく。雨音が強くなる。
やがて開けた場所にたどりつき、女が探している人物を発見する。そしてまた場面が切り替わる。

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コロンバス、インディアナ。
自分の町にある建築物にひかれ、母と共にずっとここに暮らすと決めたケイシー。
遠く韓国に暮らしていたが、父が昏睡状態に陥ったため、コロンバスを訪れたジン。
年も経歴も違う二人が、お互いを理解し始める。その傍らには常に美しい建物があった。

 

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印象に残った場面が二つある。
ひとつは、ケイシーが「そこにある建物に気づいた」と、建築に惹かれるようになったきっかけを話す場面。
風景の一部だった建物にある日気づく。まるで急に目が合ったみたいに。気づいて、近づいて、それからはずっとその建物を見ていた、という。

もうひとつは、ケイシーが家の中で電話をかけている場面。
受話器を片手に、ベッドサイドの小物の位置を少し直す。
「ハサミをもとの収納場所に」とか「脱ぎっぱなしの服をクローゼットに」とかではなく、ほんのすこし位置を変えるだけ。
「物事がどこにある時にいちばん美しいのか」を研究し、構図をバッキバキに仕立てる監督の姿と重なるものがあって、とても印象に残ってる。

 

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長編デビュー作「コロンバス」について、監督はこう話している。

ー常に自分に付きまとっていた疑問がある。それは「この世の中で、なんらかの意義をもって現代的になるにはどうすればいいのか」ということだ。それに関して、現代芸術から学ぶ点は多い。建築もまた、この疑問に関する考察の助けとなるもののひとつだ。映画というものは時間の芸術で、建築は空間の芸術だ。そして建築は、我々の虚無感を作り上げる。建築のおかげで我々は虚無を見る。不在を認識する。もし建築がなければ、それらはほとんど手に取ることができない。コロンバスにある建築物を目にした時、自分が手掛ける映画の一作目の要素にぜひ加えたいと思った。

Kogonadaって変わった名前だな、と思って調べてみたら小津映画がとても好きで、小津映画の脚本家野田高梧(のだ・こうご)をもじってつけたらしい。

Kogonada監督の小津愛が伝わる短い映像作品はコチラ。

「コロンバス」も是非観てみてください。

出典
監督の経歴、コメント:http://www.imdb.com/name/nm3226379/bio?ref_=nm_ov_bio_sm
「コロンバス」オフィシャルサイト:https://www.columbusthemovie.com/

                               

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